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南海トラフ大地震:日向灘地震は始まりに過ぎない?安政時代に発生した南海トラフ地震

2024年8月8日に日向灘で発生した地震は、マグニチュード(Mw)の数値や震源が南海トラフ地震の想定震源域に該当していたため、気象庁は「巨大地震注意」を発表しました。

その後、関東でもM5.3の地震が発生し、「南海トラフが活発に動き出したのではないか?」と不安を感じる人が増えました。

「巨大地震注意」が発表されて以降、海水浴の閉鎖やイベントの中止、水や非常食の買い占めなど、社会的に多少の混乱があります。

防災の準備はもちろん必要ですが、過度な買いだめには注意が必要です。

安政地震と比較してみる

1854年と1855年に発生した安政地震は、日本に甚大な被害をもたらした歴史的な地震です。

「安政南海地震(M8.4)」「安政東海地震(M8.4)」「安政江戸地震(M7.0)」の3つの地震が「安政三大地震」として知られています。

1年間にマグニチュード7〜8.4の大地震が3つも発生し、さらにM6.0以上の地震も何度も起きています。

伊賀上野地震

最初の引き金となったのは、1854年7月9日(安政元年6月15日)に発生した「伊賀上野地震(M7.3)」です。

  • 震源地: 北緯34.75度 東経136.0度
  • 津波の有無: なし

この地震は活断層による内陸直下型地震とされ、内陸地震であったため津波は発生しませんでした。しかし、地滑りや家屋倒壊により、死者は995名に達しました。

三重県四日市や奈良県にかけて強い揺れが発生し、新潟、茨城、山口などの広い範囲で地震が記録されました。

南海トラフ地震の想定震源域からはやや外れていましたが、それでもプレートを刺激する力は十分にありました。

安政東海地震

その後、1854年12月23日(安政元年11月4日)に「安政東海地震(M8.4)」が発生しました。

  • 震源地: 北緯34.0度 東経137.8度
  • 津波の有無: 房総半島から土佐にかけて最大8〜10mの津波が発生。特に志摩市、熊野市では10mを超える津波が記録されました。

この地震は南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となり、フィリピン海プレートの沈み込みによるプレート境界型の巨大地震でした。

震度6〜7が静岡県内の東海道宿場町で記録され、関東、中部、関西で震度5〜6、北関東、北陸、山陽で震度4〜5が観測されました。

死者は2,000〜3,000人、倒壊および焼失家屋は3万戸以上とされますが、詳細は不明です。

安政南海地震

安政東海地震の翌日、1854年12月24日(安政元年11月5日)に「安政南海地震(M8.4)」が発生しました。

  • 震源地: 北緯33.0度 東経135.0度
  • 津波の有無: 和歌山県串本町で15m、高知県高知市種崎で11m、高知県中土佐町久礼で16.1mの津波が記録されました。

この地震もフィリピン海プレートの沈み込みによるプレート境界型の巨大地震でした。

震度7が和歌山県新宮市や高知県中村市で記録され、震源域は約400kmに及びました。

豊予海峡地震

さらに、その2日後の1854年12月26日(安政元年11月7日)に「豊予海峡地震(M7.4)」が発生しました。

  • 震源地: 北緯33.3度 東経132.0度
  • 津波の有無: 記録なし

この地震はプレート内地震で、南海トラフの想定震源域外で発生しましたが、揺れによる被害が記録されています。

ここには中央構造線があるため、その断層地震ではないかと捉えられているようです。

震度5〜6の揺れが福岡県から宮崎県にかけて発生しましたが、被害の区別は困難です。

飛騨地震

翌年の1855年3月18日(安政2年2月1日)には「飛騨地震(M6.5〜7)」が発生しました。

  • 震源地: 北緯36.25度 東経136.9度
  • 津波の有無: 記録なし

岐阜県白川郷付近で発生した直下型地震で、津波は発生しませんでしたが、山崩れや家屋倒壊により、死者は12名とされています。

遠州灘地震

その後、1855年11月7日(安政2年9月28日)に遠州灘でマグニチュード7.0〜7.5の地震が発生しました。

  • 震源地: 遠州灘
  • 津波の有無: 記録なし(海洋地震であるため津波が発生した可能性あり)

この地震は安政東海地震の最大余震とされ、静岡県西部の広い範囲で震度5〜7の揺れが記録されました。

安政江戸地震

1855年11月11日(安政2年10月2日)には「安政江戸地震(M7.0)」が発生しました。

  • 震源地: 北緯35.65度 東経139.8度
  • 津波の有無: 記録なし

ちなみに江戸時代の地図を表示すると下記画像のように鳴ります。

れきちずサイトより

震源地は現在の東京都江東区豊洲付近とされ、隅田川河口部で発生したと考えられています。

この地震は南関東直下地震であり、大陸プレート内地震ではないかと考えられていますが、プレート境界地震の可能性も推定されます。

震源も北緯35.65度 東経139.8度としていますが、千葉県西北部と考えられてもいます。

震源の深さも諸説あり、深度 約40kmとする説、約100kmとする説などあります。

個人的には、津波の発生記録がなかったことを考えると、深度 約60km程度の隅田川河口部付近で発生した断層地震ではないかと思います。

最大震度6強が東京を含む関東平野を襲い、家屋倒壊や火災により死者は約10,000人と推定されています。

震度4以上の揺れは、東海から東北地方までの広範囲に及びました。

ちなみに

伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震、豊予海峡地震は「安政」への改元前に発生した地震です。

相次ぐ地震や黒船来航、内裏炎上などの災難が続いたため、11月27日に「嘉永」から「安政」へ改元されたということです。

安政時代におけるその他の地震

安政時代はその後も大きな地震が続きました。

  • 1856年8月23日: 安政八戸沖地震 (M7.5)
  • 1857年10月12日: 伊予大震 (M7.3)
  • 1858年4月9日: 飛越地震 (M7.1)

この時代は黒船来航や諸外国との通商条約、安政の大獄など、日本が抱える多くの困難がある時期でした。

これらの地震や社会的な動乱が重なり合い、江戸時代の末期には人々の生活や政治体制にも大きな影響を与えました。

ちなみに2

安政時代は、勝海舟や西郷隆盛、坂本龍馬などが活躍した幕末の時期です。

また、渋沢栄一や平岡円四郎、土方歳三など、数多くの歴史的な人物が生きた時代でもあります。

彼らも安政地震を経験しています。

なお、安政東海・南海地震が発生した際、坂本龍馬は江戸におらず、土佐に帰っていたとされています。知らんけど

南海トラフ地震との関連

安政時代の地震群と、現代における南海トラフ地震の予兆としての動きには、多くの共通点があるように思えます。

当時の地震が相次いで発生した背景には、複数のプレートが同時に活動を活発化させた可能性があり、これが現代の南海トラフ地震にも同様に適用されるのではないかと思います。

表形式での地震情報まとめ

地震名発生日マグニチュード震源地津波の有無被害概要
伊賀上野地震1854年7月9日M7.3北緯34.75度 東経136.0度なし995名死亡、家屋倒壊
安政東海地震1854年12月23日M8.4北緯34.0度 東経137.8度8〜10mの津波2,000〜3,000人死亡、家屋倒壊・焼失3万戸
安政南海地震1854年12月24日M8.4北緯33.0度 東経135.0度15m津波広範囲で家屋倒壊、津波による被害
豊予海峡地震1854年12月26日M7.4北緯33.3度 東経132.0度なし家屋倒壊、揺れの被害
飛騨地震1855年3月18日M6.5〜7北緯36.25度 東経136.9度なし家屋倒壊、山崩れ、死者12名
遠州灘地震1855年11月7日M7.0〜7.5遠州灘記録なし静岡県西部で家屋倒壊、液状化現象
安政江戸地震1855年11月11日M7.0北緯35.65度 東経139.8度なし家屋倒壊、火災、死者約10,000人
安政八戸沖地震1856年8月23日M7.5八戸沖記録なし記録なし
伊予大震1857年10月12日M7.3愛媛県伊予記録なし記録なし
飛越地震1858年4月9日M7.1岐阜県飛騨記録なし記録なし

令和6年の地震との関連性

2024年8月8日に発生した日向灘地震は、安政時代に発生した一連の地震と同様に、複数の地震が連鎖的に発生する可能性を示唆しているかもしれません。

特に、南海トラフ地震のリスクが高まっている現代においては、防災準備の重要性が再認識されています。

安政時代に、これだけの大災害が発生しても、江戸時代の人々はたくましく復興し、新政府まで樹立させています。

今、「南海トラフ大地震」のような災害や、その他のいかなる大災害が発生しても、科学技術の進歩と共に、私たちは必ず復興を果たすことができるはずです。

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